北丸雄二さん(ジャーナリスト・作家)

Kitamaru06 ホモフォビア(同性愛恐怖症)に関していえることは昔から同じです。

それは病気です。

フォビアとは病気なのです。
病的な嫌悪感、恐怖心。

いろいろなフォビア(恐怖症)があります。広場恐怖症、閉所恐怖症、高所恐怖症というポピュラーなものから雷光恐怖症、水恐怖症、暗夜恐怖症、あるいは陶磁器類恐怖症、空気恐怖症、言語恐怖症などというわけのわからないもの、はては13という数字が駄目な十三恐怖症(トリスカイデカフォビア)なんていうものさえあります。この場合、治療の対象は「広場」でも「高所」でも「空気」でも「陶磁器」でもましてや「13」という数字でもないのと同じように「同性愛」ではありません。治療の対象は「恐怖症」のほうです。つまりあなたがホモフォビック(同性愛恐怖症的)ならば、治すべきはあなたの嫌いな「ホモ」たちではなく、あなた自身の恐怖・嫌悪という病的反応のほうだということです。

まずは病識を持つことです。自分が病気だと思っていない病人ほどたちの悪いものはありません。あなたが「生理的」に苦手だと思っている「ホモ」たちは、じつは「ホモ」たちが悪いのではなくてあなたの「生理」が異常なのだと自覚することです。

いやいや、そんなに大袈裟なものじゃなくて、ただなんとなく「嫌」なんだ、と思っているだけなら、ああ、そりゃよかった。それは病気ではありません。それはホモフォビアではない。それは思い込みです。あるいはたんなるフリ、そういう格好をしといたほうが無難だ、あるいは、受ける、というふうに思っての仕草に過ぎません。それは専門的な神経症の治療を施さなくともだいじょうぶです。だって、それはたとえば「納豆が嫌い」というのと同じ、「ヘビがだめ」「クモは苦手」「芋虫、食べられない」というのと同じだということでしょう? だれも無理なものを食べろなどとはいいません。触れともいいません。好きになれとは無理強いしない。安心なさい。万が一そういわれても決然とNOといえばよろしいだけの話です。だが、あなたが嫌っても苦手でも叫んでも、ヘビや納豆は厳然と存在する。カエルやナメクジに罪はない。ボクラハミンナ生キテイル。それが世界だ。そういうもんだ。

それとも、あなたはそれだけじゃ気が済まなくて、それらすべてを一掃したいと思っているのですか? だからヘビや納豆を見ただけでぎゃーぎゃー騒がしく自分の嫌悪を表明し賛同者を募るのでしょうか? ゴキブリはぜんぶ殺せ。クモは死ね。納豆なんか殺菌しろ。陶磁器は生き埋めだ。民族浄化だ撲滅だ。クリスタルの夜だ。セルビアの悪魔だ。

もし、そんなあなたが、好悪に関しても発達過程にあるせいで自分を納得させるためにもどうしても騒がしい表明をしてしまわざるを得ない小学生ではない場合、そんなあなたはやはり病気です。まあ、少なく見積もっても情操障害か。
さらにもし、そのあなた個人の嫌悪の対象が生きている人間であると認識していてすらも、その嫌悪と憎悪と恐怖とを聞こえよがしに振りまいて憚らないというのであるならば、あなたはやはりもっとしっかりと病識を持ったほうがよい。あるいは少なくとも犯罪の自覚を。

ですから、ホモフォビア(同性愛恐怖症)に関していえることは昔から同じなのです。
それは,病気だ。でないなら、犯罪です。
悪いことはいいません。お治しなさい。一刻も早く。
人間、ひとに危害を加えない努力が肝要なのです。
それがいまの人間社会というものの存在基盤なのですから。
ね。

(筆者注)上記の文章は「病気の人」たちを疎外しようとの意図で書かれたものではありません。むしろ、病者でもないのに「病者を騙る人」たちを炙るための文章であることをご斟酌ください。