永易至文さん(フリーランスライター/編集者)

Nagayasu ホモフォビアは、同性愛嫌悪と訳されますが、多くの日本人にとって同性愛を「嫌悪」したり「憎悪」するという激しい感情は、あまり経験することがないかもしれません。嫌悪したり憎悪するほどハッキリした対象として、日本では同性愛(者)が認識されていないのでしょう。そもそも日本は同性愛(者)に寛容、という迷信が、大手を振ってまかり通っているのですから。

でも、「ドウセイアイ」「ゲイ」「レズビアン」と口に出して言ったときの、人びとのちょっとこわばった、触れてはならないことに触れたような、あの微妙な空気はなんでしょう? あるいは、同性愛に言及したとき、かならず最後に「落ち」をつけなければその場が改まらないようなあの習慣は?
 
NHKのラジオニュースで謹厳そうなアナウンサーが、アカデミー賞のニュースを伝えながら、「カウボーイのドウセイアイを描いた……」と、つとめて冷静そうに、そしてどこかに「聴取者のみなさんに、お聞き苦しいものをお聞かせしてすみません」 というニュアンスをただよわせながら読んでいたあの声が、いまも耳底に残ります。

「Act Against Homophobia」キャンペーンにゲイのひとりとして賛同し、呼びかけられた尾辻議員ならびにともに声をあげられたすべての人びとに、心からの連帯を送ります。